誰かではなく、自身の期待に応えられる自分になる

誰かではなく、自身の期待に応えられる自分になる

子供の頃は、親が決めた習い事をやったり、
場合によっては進学する学校も親が決めてしまう場合が多い。

子供には判断して決める事が難しい場合も多いので、
ある程度は仕方がないだろう。

しかし問題は、子供のではなく、
親の意思が主たる意思となってしまう場合が
往々にしてあるということだ。

私にはミニバスをやっている小学生の娘がいる。

妻と娘の会話で、
コーチが背番号を新しくメンバーに与えたらしいく、
娘は6番。

妻いわく、期待を込めてだとか。

ここで私は娘に伝えたことは、

「誰かの期待に応えるために頑張らなくて良い」
という言葉だ。

5年生の娘にはまだ理解出来ないだろうが、
将来思い出すことでもあればと思い伝えた。

かくいう私も「親や周囲の期待に応えることが良い事だ」
と思い込み、随分と長い時間を費やしてきた。

そして、それは今でも完全には抜けきれない部分もある。

自分自身がやっていて楽しいとか面白いなら、
それをやれば良い。

もし、そうでないなら、
誰かの期待に応えるためにやる必要はない。

そう付け加えた。

誰か期待に応えられなくなった時、
苦しい思いをするのは自分自身。

勝手に期待されている感を膨らませて、
プレッシャーを感じ、ストレスを抱えて行く。

そして上手くいかない時は、
期待した周囲を恨むことになる。

反対に自分が「やりたい」と思ったことを
やって上手く行かなかった時は、
自己責任でしかなく、
ある程度の達成感や満足感かある。

自分の人生は、
結局は自分自身でしか責任が取れないのだから、
可能な限りは自分の意思で決めたいものだ。